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私の医療体験

私は左の耳が詰まるという一種の外耳炎なんですが、年に一度か二度、耳鼻咽喉科に通って治療してもらう持病が15〜6年間つづいています。健康に対する不安はこれだけで、風邪さえ今までの長いサラリーマン生活で会社を休まなければならないような症状になるほどのものをひいたことがありません。留学してから半年ぐらい経ってから左の耳が詰まる感じになってきましたので、治療してもらおうと思い電話帳で耳鼻咽喉科を探して見ましたが見つかりません。あつ子さんに相談して見ることにしました。彼女ならセーレムに30年以上住んでいまして、子供も3人育て上げているので、適当な医者を知っているに違いないと思ったからです。

あつ子さん一家は耳鼻咽喉科にかかった事は無く専門医を知りませんでしたが、彼女のgeneral physician(係りつけの一般医。ここにまず相談し専門医を紹介してもらう)に聞いてくれ、一軒だけ耳鼻咽喉科医院があることが分かりました。たまたま日系医でしたが、彼女が問い合わせたところ、予約がいっぱいで20日先でないと診てもらえません。その時は春学期の終わり頃で、私の考えでは春休みが一週間あるので、これを利用して治療してしまおうと思っていましたので、20日も待てません。彼女の骨折りでSalem Hospitalの緊急医療センターで診てもらうことになりました。

余談ですが、アメリカでは救急車を呼ぶとその費用が本人負担になります。しかも高額なので日本のように気軽に救急車を呼べません。ある留学生から聞いた話ですが、一時帰国のとき友達のアメリカ人女性をいっしょに日本へ連れて行ったそうです。2人で道路を歩いていた時、急にそのアメリカ人が腹痛を起こし、しゃがみこんでしまったので、彼女が救急車を呼ぼうとしたら、真剣になって阻止したのでびっくりしたそうです。日本では救急車が唯だということを知らなかったからです。

あつ子さんの車でSalem Hospitalの緊急医療センターへ連れて行ってもらいました。受付で保険をチェックされ色々と書き込まれましたが、配偶者の名前を記入する欄があり、ワイフの名前を聞かれたのは不思議に思いました。遠く日本にいるワイフはこの場では関係ないだろうし、あつ子さんという英語の堪能な付き添いもいるのに、どうしてそれが必要なのだろうか。

30分ほど待たされ医者に診てもらいましたが、infectionだと診断されました。この言葉を辞書で引くと、感染、伝染、伝染病としか私の英和辞典には出ていません。あつ子さんの言うには、ただれている、という言葉らしい。医者は処方する薬を10日間、朝晩飲めば完治すると断言しました。医者はまったく治療を施しませんので私は唖然としました。唯、耳の中をのぞいただけです。日本では少なくとも耳の中をきれいに掃除し、薬を塗ってくれます。私の耳は依然として詰まったままです。

受付で代金を払うために待っていましたら、あつ子さんが帰りを促すので、支払いはどうするの、と聞いたら、アメリカでは病院では支払いをせず、後日請求書が郵送されてくるので、その額の小切手を郵送すればよい、という返事です。ここでも日米の違いを実感しました。もし請求書が届いても支払わない人がいたらどうするのだろうか。又、どこかに引っ越したり、留学生なら帰国してしまったらどうするのだろうか、と余計な心配をしてしまいました。私の今回の場合は、一ヶ月以上経ってから請求書が送られてきて、額は60ドルぐらいだったと記憶しています。留学生に対してChemeketa Community Collegeは規定の学生保険に入ることを強制していまして、私もこれに入っていました。年間700ドルか800ドルだったと思います。目と歯は対象外で、自己負担50ドル、それを超えた額を保険会社が負担します。唯、耳を覗いただけで60ドルは高いと思いました。

完全な医薬分業になっていまして、病院内に薬局はありません。ほとんどのスーパーの中に薬局がありますので、私も行きつけのスーパーの薬局で処方箋を見せ、2種類の薬をもらいました。一つは抗生物質です。辞書を引きながら薬の説明書を読みますと、飲んだ後、dizzy(目まい)、insomnia(不眠症)、vomiting(吐き気)を催すと書いてあり、更に、充分な水と食事を取れ、と書いてあります。薬を飲み始めてから2日間は大丈夫だったんですが、3日目に友達のMattとオレゴンコーストにドライブに行ったとき、1時間ぐらい車に揺られた後ですが、体じゅうが暑くなり吐き気をもようしてきました。更に30分ぐらいすると我慢が出来なくなりましたが、車から降りて何とかニューポートの海岸を歩いていたところ、ついに嘔吐してしまいました。私は子供の頃はよく車酔いしたものですが、大人になってからは滅多になく、今なぜ吐き気をもようしているのか自問自答してみましたが、車酔い以外に考えられません。車酔いは車から降りてさえしまえば、長く続くものではありませんので、その日の夜は何も食べられませんでしたが、耳の薬だけ飲み、翌日の朝さわやかに目覚めるのを期待して床につきました。

夜中じゅう気持ちが悪く熟睡できません。朝になっても吐き気が取れませんので、車酔いではなかったことがはっきりしました。薬の注意書きがくっきりと頭に蘇り、薬のせいである事は疑いの余地がありません。あきらめて、気持ちのむかつきを我慢することにしました。何か食べないと薬の強さに負けてますます体がおかしくなるので、無理して食べましたが、買いだめしてあった食料品もなくなり、買い物に行かなければなりませんが、その元気はありません。あつ子さんをはじめとして親切な友達が食べ物を差し入れしてくれました。夜よく眠られず、昼頃までベッドに横たわり、午後はボヤーっとしていました。

薬を飲むのを止めれば正常に戻るのは分かっています。しかし医者ははっきりと薬を10日間飲めば完治すると言いましたので、その言葉を守り最後まで飲み終えようと決意していました。長年この病気を患っており、もし今、治すことが出来なければ、一生治せないかも知れない。アメリカの最新医療技術を信じ、それに賭けよう。7日目、耳の中がスッキリし、最後の10日目、ついに薬を飲み終えました。その日は土曜日で、翌々日の月曜日から春学期が始まります。辛く、苦しい、死ぬような悪夢の春休みでした。翌日朝は未だスッキリしませんでしたが、だんだんと気分がよくなり、夕方になる頃には正常に戻り、明日からの新学期に意欲がわいてきました。

後日、考えて見ますと、一回に飲む薬の量が多すぎたのではないか。私は体重50kgしかありません。私の倍近い体重のアメリカ人の標準量であったとすれば、その半分の量で充分だったのではないか。完治したと思ったのは束の間の喜びでした。3ヶ月ぐらいしてから、又、左耳の調子が悪くなり、元の木阿弥です。日本のワイフから綿棒(アメリカのものは太すぎるので)を送ってもらい、留学を終えるまで凌ぎ切りました。