Return to Table of Contents, "Two Years in Salem as a 60 Year Old Student"
「SALEMでの2年間(60歳からの留学)」の目次へもどる
4.アメリカ人
A. ESLの先生方
私は先生方には全幅の信頼がありました。クラスを欠席したことはありませんし、宿題は期限内に全部提出しました。日本人として恥ずかしくないよう行動したいというのはもちろんのこと、セーレムの姉妹都市としての川越代表という気概がありましたので,胸にはなるべく姉妹都市のバッジを付ける様にしましたし、模範生と成るべく、努力しました。ListeningとSpeakingは満足できませんでしたが、その他の英語は良い成績を取れましたので全体として良い評価をもらえました。主な先生は次の方々です。
Lois Rosen:私が一番尊敬する先生。献身的な教え方をするので他の学生からも人気があり、すばらしい詩を作ります。日本の短大で英語を教えたこともあり、俳句にも造詣があります。
Jannie Crossler-Laird:私はこの先生のクラスを一番たくさん取りました。私専用の教材をいくつか作ってくれ懇切丁寧に指導してくれました。
Dina Valdivia:メキシコ系のReadingの先生。大学で日本語を専攻したので、ある程度日本語がわかる。春学期にこの先生のクラスを取ったが、次の期は先生の生徒ではないにもかかわらず、毎週一度英会話の個人教授をしてくれた。もちろん無料で私がした御礼は最後の日にプレゼントした日本の扇子だけである。
Kanta Luthra:インド出身のWritingの先生でアリスヨシカイ小学校の隣に住んでいる。誕生日が私と同じ1938年8月8日で、私は日本でもこの日に生まれた人を知っておりません。生徒にはあまり人気がありませんが、私とはなぜか馬が合い、自宅のパーティーには3回押し掛けました。
B. Conversation Partner
アメリカ人は自分が興味ある国の文化を知り、外国人は英会話の練習が出来る、学校が開発したプログラムで、一学期間、週一回、一時間パートナーを組ませるシステムです。私の主な友人は次の三人です。
Jan Boyington:学校で働いている女子職員、50歳くらい、日本を旅行したことがあります。日本のいろいろな社会慣習について知りたがり、質問するんですが私の英語が未熟なため満足に答えられず,じれったい思いをしました。
John Michels:学校の数学の先生。数年前日本に英語教師として半年間派遣されたことがあるが、今は日本語をほとんどしゃべれない。日本びいきで学校の自分の事務室には日本の絵を飾ったり、飾り物を置いたり、本棚には日本の童話の絵本が数冊と日本語の数学の教科書が入っていた。コンピューターが得意で私はこの先生に洗脳され、帰国したらパソコンを買おうと決心しました。
Lisa Anderson:20歳のChemekeka女子学生。アメリカの若い女性は自己主張が強く生意気な印象を持ち、レディーファーストの弊害を感じていましたが、彼女の場合は思いやりがあり、日本的な情緒があります。学校のカフェテリアで午後毎日3時間ぐらいアルバイトをしていましたので、Conversation partnerとしての規定の時間以外でも会うことが出来ました。
C. 日本人の奥さんを持ったアメリカ人
奥さんのところに招かれれば自然と知り合うようになります。
Jerry:あつ子さんのご主人。日本に駐留していたので、日本の地理もわかり、日本語もわかる。退役して、今は悠悠自適の生活をしている。クラシックカーが趣味。
Steve:とみ子さんのご主人。沖縄でMarine(海兵隊員)だったとき、沖縄でジオス(英会話学校)の先生をしていたとみ子さんと知り合った。今は除隊し、セーレム市内の民間会社に勤めている。日本食は何でも好きで、若く、優しく、ハンサム。とみ子さんを知っている日本人女子留学生の間では、理想的な国際結婚の見本になっている。
George:かよ子さんのご主人。日本生活が長く、日本語は話せるけれど、かよ子さんが英語が達者なので、日本語を使っていない。日本酒が好きで今でも飲んでいる。日本企業で社員に英語を教えていたことがあり、英会話のテキストを持っていて、私も一度その本で教えてもらった。頻繁に彼を訪ねて英語を教えてもらおうと思っていたのですが、その時学校の勉強が忙しく、疎遠になってしまい、帰国した今でも残念に思っています。
Bruce:静さんのご主人。この人の場合は他と違い、Bruceと最初に親しくなり、彼から奥さんを紹介された。セーレムのニッサン自動車にいたとき車を購入したけれど、その後彼はポートランドの日本車ディーラーから引き抜かれて、8年間勤めたニッサンを辞めポートランドに引っ越してしまった。
Keven:Yong Namのご主人。奥さんは“食事”の項で取り上げた韓国人ですが日本語が堪能なので私にとっては日本人の様な感じがしています。彼は宣教師だけあって、誰にでも親切で、顔も広く、精力的に活動しています。3歳の娘と1歳の息子がいますが、母親よりも彼の方に懐いていて一人で出かけるときは泣くので苦労していました。
D. その他のアメリカ人
Matt:28歳の独身青年、日本人の彼女がいた。彼女とは10年近く前に出会い、一緒にChemekeka Community Collegeで勉強し卒業、共にセーレムから車で1時間くらいのところにあるUniversity of Oregonに編入して卒業した。彼女のおかげで日本語は書くのはともかく、会話は日本人と変わりない。彼女は日本に帰国したが、その後長い間遠距離恋愛が続き、結婚する筈であったが彼にとっては不幸にも今年破局した。彼の腕には彼女の名前である“愛”(めぐみ)の入れ墨が彫ってある。私は彼からの取材を素に“A Chemeketa Love Story”というタイトルの作文を書き、学校のESL全生徒を対象としたライティングコンクールで入賞したことがあります。彼は日本の物は何でも好きで、私は彼に頼まれて、一時帰国した時ぺこちゃん飴と明太子を買って持って行ったことがあります。私は将棋が好きなので留学するとき携帯用将棋セットと英文の解説書を持っていきましたが、彼に教え、帰国する時プレゼントしてきました。
Mako & Stan Mayfield:Salem-Kawagoe Sister Cities, Incorporatedの役員であり、Makoさんは2000年5月の川越セーレム親善協会総会時の茶話会に迎えられていますので、ご存知の方が多いと思います。Sister City Committeeのクリスマスパーティーと3月末の総会兼ディナーパーティー、Matsu Kai(日本の文化活動をしているセーレム在住の日系婦人の会)のクリスマスパーティーに招待してもらいました、その他に展示会や、買い物、食事、色々なところに連れて行ってもらいお世話になりました。