Return to Table of Contents, "Two Years in Salem as a 60 Year Old Student"
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天候・服装
11月から3月にかけ雨勝ちの日が続きます。日本の梅雨時が何ヶ月も続いている感じで、オレゴンが嫌いだと言う人は冬を中心とした雨が嫌いと言う理由が多いようです。学校は屋外のクラスである、テニス、野球、陸上競技、サッカー等は雨の影響を受けるため、秋学期を11月はじめで終了してしまい、冬学期はありません。一日中降っているわけではありませんが私は憂鬱に感じました。オレゴンの人々は傘をささない人が多く(傘をささないのがオレゴニアンと言う評判がある)、ぬれても平気でいます。しかしあまり雨足がひどくなれば上着に付いているフードをかぶります。そのためかフード付き上着が流行っており、売られています。私は日本から持っていった折りたたみ式傘をいつもさしていました。ある雨の日、教室に入って後ろの方に濡れた傘を開いて干していましたら先生に注意されました。アメリカでは大変失礼な行為だそうです。最初の年は非常に寒い年で、雪が3,4回降りましたが、2年目は雪は気が付かない程度に降っただけで、摂氏0度以下の日はあまり無く、暖かい冬でした。オレゴンの冬の寒さは東京と比べてどうかと聞かれたら、私は同じくらいだと答えるでしょう。
日本の春、2月末の春一番が吹く頃から4月の桜が咲く頃まで私は20何年間も毎年、杉花粉症に悩まされてきましたが、オレゴンではまったくその症状はありませんでした。杉の木はオレゴンにもたくさんありますが、日本と種類が違うために花粉症にかからなかったのではないかと思います。しかしオレゴンにも花粉症と言うアレルギー症状はあり、薬もたくさん売られていますが、時期としては5月から6月にかけてピークのようです。
桜の花は私は日本のシンボルだと思っていましたが、セーレムにあまりにたくさんの桜の木があり、美しく咲き誇っているのには驚きました。日本の桜より小ぶりで3月の中頃から咲き始め、3月末には終わってしまいます。
6月から8月の夏はほとんど雨が降りません。暑い日はもちろん摂氏30度を超えますが、一番暑いのは午後4時ごろでして、朝方は涼しく真夏でも長袖の準備が必要です。相対的に日本よりも暑さをしのぎ易く、過ごし易い夏と言えます。Daylight saving time(夏時間、1時間時計の針を進ませる)のおかげで7月は9時ごろまで明るく、オレゴンでは夏が一番良い季節だと感じている人が多いようです。
日本では季節によって衣替えを致しますが、こちらではそういう事をやっている様に思えません。服装に季節感が感じられません。ある女性は真冬でも半袖の上にジャンパーをはおり教室の中では半袖のまますごしたり、又夏が近づいてもジャンパーを着ていたり、皆思い思いの服装をしていますが、スカートをはいている女性はほとんど居らずジーパンやパンツ、ショートパンツをはいています。男性は半ズボンが日本よりずっと多く冬でも半ズボンで通す人がかなりいます。背広ネクタイは数えるほどで、公務員でさえカジュアルな服装をしています。どんな服装をしていても誰も気にしません。アメリカは人種の坩堝、あるいはサラダボウルと言われるように、さまざまな人々がさまざまな服装をしており、又極端な肥満体を含めていろいろな体形の人がいますが、他人の事は気にしません。私はと言えば最初の頃いろいろな人々を見るのに興味を持ち、ショッピングモールのテラスに一人で座ってコーヒーをすすりながら周りの人々や行き交う人々をぼんやりと眺めていたものでしたが、月日がたつにつれて、人の外見に関心が無くなり、日本人との比較をしなくなりました。
私の交友関係
1. クラスメートおよび日本人留学生
ESLのクラスメートたちは諸外国から集まっており、共通の言語である下手な英語を媒介として友達になっていきました。メキシコを中心とするラテンアメリカの人達は陽気で、底抜けに明るく気軽に話し掛けてきます。年齢で相手を差別しません。それはアメリカ人も同様ですが、年配だと言う理由で相手を敬うようなことも無く、対等に接してくれ、私のような企業社会の上下関係のしがらみに生きてきた者にとっては新鮮な解き放たれたような開放感を味わえます。授業と授業の間の待ち時間や昼食の時間によく会話をしましたし、クラスの課題として出されたアメリカ人へのインタビューや課題発表の調査など数人で一緒に行動することが多く、親しくなる機会はたくさんあります。
日本人留学生はChemeketaに35〜40人ぐらいおり、女性が多く、一般的には高校卒業後アメリカの語学学校で一年ぐらい勉強して、TOEFL450点をクリアしChemeketaに入学して来るパターンが多いと思われますが、2〜3年働いて学費をためてから来る者、短大、大学を卒業してから来る者等さまざまですが、私のように定年後の留学生は嘗ておりません。日本人同士ですと紹介されなくても初対面で言葉を交わし、すぐ知り合いになります。学校では年間行事としてCulture Fair、国際ファッションショー、Thanksgiving Dayなどあり、又毎週水曜日2:30〜3:30の1時間“Social Hour”という学校主催のInternational studentsに対する親睦会があり、いつも日本人の出席者が多く、スナックや飲み物でくつろぎ親交を深めました。日本人の間で私はMr. Chemeketaと呼ばれることがあり、照れながらも内心ほくそえんだものです。
日本人留学生とは親しい人が何人もおり、色々なエピソードがありますが、ここで一つ一つ書き記すのは読み手側の望むところではないので割愛いたしますが、同じ留学生として若い人達と対等に同じ次元で付き合うことが出来たのは、日本では決して有り得ないだろう貴重な体験だと思います。私は彼女たちを友達と呼びますが、日本国内でしたら60歳を過ぎた者が20代の人を自分の友達だと呼ぶのは違和感があるでしょう。楽しかった思い出を一つ挙げますと、私は娘がいないので常々ほしいと思っていましたが、セーレムで三人の娘を作りました。もちろん私が一人合点で決めたのではなく合意の基でして、他の人達にも公言しましたし、Writingのクラスに提出するJournalに書いたこともございます。一人で悦に入り、留学と言うチャンスに感謝したものです。
2.留学生ではない日本人主婦
転勤の主婦:ご主人の転勤に伴ってセーレムに住んでいる主婦達。三菱シリコンと山サの奥様方。特に奈津子さんには親しくしていただきました。二人のお子さんと犬や猫を日本から連れてきた方で、獣医の資格を持ち、Chemeketaでも英語の勉強をしており、車で飛び回っている活動的な人です。
やす子さん:4年前結婚するために、こちらへ移住してきた方で、ご主人は日本人ですがセーレムにあるウィラメット大学を卒業後オレゴンの公務員をしておりアメリカの市民権を持っています。彼女はChemeketaで私と同じクラスが長く、英語のよきライバルです。とは言っても、会話は彼女のほうが上ですが、筆記試験になると良い勝負です。年に似合わず純真な方で、“私がアメリカにお嫁にきたときはね、”というような表現をし、むきになるところもありますが、優しい人で、料理の天才です。
とみ子さん:私と同じ時期にハンサムなアメリカ人と結婚するためセーレムにやってきた方で私の長女です。はじめて会った時は妊娠したばかりでしたが、私の帰国のときはその男の子は満一歳になっており、外人特有の容貌で堪らなく可愛く、私は彼を孫のように思ってきました。
あつ子さん:私が入学して直ぐテニスのクラスを取ったとき、彼女は60歳半ばで初心者としてこのクラスに入ってきました。何事にも興味を持ち気持ちの若さに驚かされます。軍人で日本に駐留していたアメリカ人と結婚し、セーレムに移転してから30年以上経ちますので地元の事情に詳しく、私のアパートから歩いて12〜3分のところに住んでいますので、私は何かと頼りにし、何か困った事があったらこの人に相談すればよいと言う存在の人でした。
かよ子さん:私より2歳年下ですが、ほとんど毎日テニスをしているテニス大好き人間で、ご主人は学者タイプのアメリカ人です。学校には冬学期テニスのクラスがありませんので、私はインドアテニスコートの会員である彼女と三菱シリコンの高島夫妻と4人で11月後半から3月まで毎週土曜日、朝9時からダブルスを楽しみました。
とし子さん:一歩家に入るとそこは日本よりも日本らしく、郷愁にそそられます。アメリカ移住40年以上になりますが昨年アメリカ人の夫をなくし、広い家に一人ですんでいます。自己流の盆栽を習得し、広い自作の日本庭園は有料で見物人を集めても良いほどの出来栄えです。70歳を過ぎて尚、かくしゃくとし、人生を前向きに歩んでいます。
3. アメリカ人以外の外国人
メキシコ人
Esmeralda:メキシコで大学を卒業後約一年間英語を勉強するためChemeketaに来ていたが、すでに帰国した25歳の歯科医の卵。他のクラスメートと数人で彼女のアパートに招待され、ご馳走になったメキシコ料理のエンチラーダは忘れられない。世界の切手を収集しており日本の切手を大変喜んでくれた。
コロンビア人
Rocio:クラスメートだった35歳の美人独身女性。博愛心に富み、積極的にボランテアを名乗り出る協力的な人で、自国のコロンビアに誇りを持っている。現在はポートランドで新聞社に勤めている。
ペルー人
Sussan:留学のため単身渡米しセーレム市内にホームステイしており、今はChemeketa Language Instituteで英語を勉強しているが、いずれCollegeに移り卒業し、4年制大学の3年に編入卒業、更に大学院に入る計画を持っている21歳の女性。ペルーの大金持ちの娘であるが、優しく思いやりのある物怖じしないラテン娘である。
韓国人
Jung Hee:韓国で大学の3年を終え休学し、セーレムに叔母が住んでいたのでそこにホームステイしていた。その叔母も一時Chemeketaに来ていたことがあり私と同じクラスだったので知り合いであるが、自宅の邸の他にダウンタウンに洋服の手直し店を持っており私も上着を直してもらったことがある。Jungは叔母と性格が正反対の真面目な秀才であるが、もう4年生に戻るため帰国してしまっている。
Jiyoung:学校のStudent Life Officeでアルバイトをしており留学生の面倒を見ていた。あまり上手ではないがテニスが大好きで、しょっちゅう電話があり、二人で学校のコートでテニスをした、いわば私は彼女のテニスのコーチである。Chemeketaを卒業しセーレムから車で30分ぐらいのCorvallisというところにあるO.S.U. (Oregon State University)の3年に編入した。彼女の夢はニューヨークの国際連合で働くことである。
中国人
Xiao:“車に関して”の免許の項で彼女を取り上げましたが、まだ26歳ですけれど中国の大学で同級生だった主人がいます。彼はセーレムのウィラメット大学の大学院で法律の勉強をし今年6月に卒業、法律事務所で働いています。彼女は英会話が私よりはるかに上手で、日本語はわかりませんので、一緒に居る時間は私にとって英会話の勉強の場でもあったといえます。
Jing:皆、晶(しょう)ちゃんと呼んでいました。日本語を話しますので初対面の日本人は彼女を日本人だと勘違いします。中国の4年制大学を卒業後、日本に来て一年間日本語学校で勉強し、川越市、霞ヶ関のT.I.U.(東京国際大学)に入学、4年間で卒業しました。日本語検定の一級を持っています。英語もマスターするためChemeketaに入ってきましたが、私は彼女が川越に居たと言うことで非常に親しみを覚え仲良くなりました。この夏よき伴侶を見つけ、彼がO.S.U.の先生であるためCorvallisに引っ越す予定です。
台湾人
Grace:ESLのクラスで知り合いましたが、セーレムにある京樽に勤めていたご主人が転職のためオレゴンにある最北端の海辺の都市、Astoriaに移ったため引っ越してしまいました。私は8月8日生まれですが、台湾でも8をpaと発音し、8月8日はpa,paの日、すなわち台湾では父の日だということを教えてくれました。台湾料理のおいしさも彼女が実践してくれました。Astoriaで新居を購入したとき出かけていって一晩泊めてもらいましたが、若いカップルが、このような広い家、このような広い庭に住めるのは、日本に於いて一般の人においては夢でしかない、やはりここはアメリカだ、という事を痛感しました。
Christie:Graceという名前もそうであるがChristieも本名ではない。しかしアメリカでは通常これでとうせるし、台湾国内に於いてもアメリカ流の別名を使っている人はかなりいるらしい。Christieの場合も台湾に居る友達は彼女をChristieと呼ぶと言う。彼女はカナダの高校に留学し、卒業してChemeketaに入学してきた。日本が大好きで音楽はグレイの大フアン、キティーちゃんのグッズが好き、日本語を覚えたいのでカナダで日本人の家庭教師についていました。私が彼女を知ったのは学校から日本語の家庭教師をやらないかと依頼されたからで、彼女は英語は得意と聞いて、自分の英語の勉強にもなるので無料で引き受けました。日本語の上達も早く利口な子で、Chemeketa卒業後は日本の上智大学に留学したいと話しています。