Return to Table of Contents, "Two Years in Salem as a 60 Year Old Student"
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車に関して
道路上の車の信号機は、レーン(車線)の数だけ、そのレーンの真上にあります。例えば片側3レーンあれば信号機は3つあります。日本と逆で車は右側通行ですが、左折専用のレーンがあり、そのレーン専用の信号機があります。右折する場合、安全を確認すれば赤信号でも曲がれます。
スクールバスが登下校時には頻繁に走っています。日本で見かける送迎バスは幼稚園用ですが、アメリカは小学校、中学校、高校まで、皆同じ黄茶色のパブリックバスを走らせています。道路上で生徒を乗り降りさせるとき、運転手はバスの左側からストップサインを出します、すると後続の車は皆ストップしなければならず、どれだけバスの横が広く空いていても追い越し出来ません。それは納得できないことも有りませんが、対向車もまた全部ストップしなければならないのが理解できません。止まらないと罰金を取られます。
私は学校まで歩いて5分で行けましたので、当面、車の必要性を感じませんでしたが、買い物するのに自転車を買いました。籠付の自転車を探しましたが、アメリカでは自転車で買い物をする人はおらず、サイクリング用しかありません。そのため全部に飲料水用のプラスチックのボトルが装備されています。荷台や籠が付いていないので、リュックサックを買って、その中に買い物した缶ビールや卵、牛乳などを詰め、背中にしょって自転車をこいでいました。主な道路には両側に自転車専用レーンがありまして、いつも誰も走っていません。本当にそのスペースがもったいないと感じつつも、アメリカの少数派に対する配慮には、身体障害者の例にもあるとおり、感心せざるを得ません。話が車からそれますが、もう一つ例を挙げますと、未婚の母専用の高等学校がセーレムにあります。母が学習中に子供を世話する施設が備わっており、無料です。
自転車を最初の半月ぐらいはアパートの前の私の駐車スペースに泊めておいたのですが、近所の親切なアメリカ人が、再三自転車を盗まれないように部屋の中に入れるよう薦めます。注意深くアパートの周りを観察しますと、私以外に自転車を外に泊めている人はおらず、乗るときは部屋の中から出してきます。私もリビングルームの絨毯の上にダンボールを敷いて保管するようにしましたが、なんとも落ち着きません。特に雨の中を走ってきて部屋の中に入れるときは気分的に抵抗がありました。その自転車も3ヵ月後に、スーパーの前に鉄の鎖を使って停めておいたにもかかわらず、盗まれました。又新しい自転車を購入し、今度はもっと太い鎖付き鍵を買いましが、自転車の値段が69ドルでしたので盗まれてもそれほどショックは受けませんでした。
ここで盗難について触れますと、車の中がよく狙われるようです。外から見えるように車の中に物を置くな、とよく言われます。私の友達で運転席の横のガラスを割られた人がおりますし、又先の“食事”のところで触れた韓国人、その夫のKevenは出先で停めておいた車に、誰かに入られ、車の盗難目的だと思いますが、エンジンの鍵穴をいじられ、彼が車に戻ってキーを鍵穴に差し込もうとしたが入らずエンジンを始動出来ないのでレッカー車で修理屋に運んでもらい、私がそこまで車で彼を迎えに行った経験があります。Chemeketa Community CollegeのBookstore(本、教科書、文房具の他、カバン等学生に必要なもの、および衣類お菓子も販売している)にはカバン、バッグなどを持って入れません。入り口の外の棚に持ち物を置いて入らなければなりません。学校は自分の学生を信用できないのか、と言いたくなりますが過去の万引きの反省が原因だろうと思います。スーパーでも持ち込み禁止のところがあります。自転車で買い物していた頃、大手有名スーパー“ウオールマート”によく行きましたが、入り口でリュックサックを預けさせられました。私の知り合いのある家庭は出かける時いつも空巣予防のためラジオをつけっ放しにし、外にかすかに聞こえるようにしています。
私は留学してから9ヵ月後に中古車を買いました。 Bruceという日産自動車のディーラーのSales managerと仲良くなっておりまして、知り合ったきっかけは彼は日本語を学びたい、我ら日本人は英語を学びたいというグループに入り毎週勉強会をやっていました。彼の奥さんはNorthwest Airlineのステュワーデスをやっている静さんと言う美しい日本人ですが、家庭で奥さんから日本語を学ぼうとしても、奥さんが英語が達者なため5分と日本語の会話は続かず英語になってしまうそうです。彼を通して日産のセントラ(日本国内のサニーに相当する)、1990年製、マイレイジ8万の中古車を4800ドルのところ1000ドル値引いて貰って3800ドルで購入しました。中古車は故障しやすいと聞いていましたので一年間のwarranty(保証)を750ドル払ってつけました。保険が高く、当初、国際免許証の場合は年間で1700ドルと言われましたが、ちょうどその時、私はオレゴン州の仮免をとっていましたので正式の免許とみなされ1400ドルになりました。この中には自己責任の事故の自分の車の修理費は入っていませんし、対人保証も日本のように何億円とか無制限と言うものは無く最高でも数百万円です。日本のJAF(日本自動車連盟)に相当するAAA(トリプルAと発音している)という全米組織があり加入しました。
日本で発行してもらった国際免許証は有効期間一年になっていますがオレゴンでは3ヶ月しか通用しません。ただし最初に警察につかまったときは、知らなかった、で言い逃れ出来ますが二度目は駄目です。私は車を買うに際しオレゴンの免許を取ろうと思いました。免許取得のためのDMV(交通警察署みたいなもの)が発行した120頁ぐらいのマニュアルがDMVや学校の図書館に用意してあり無料でもらえます。それを読んでまず仮免許を取得するための筆記試験を受けなければなりません。国際免許証を持っている人もこの試験に合格しなければ実地試験を受けられません。25問出題されまして19問正解すれば合格ですが、時間無制限、辞書持ち込み自由です。私は20問正解し一回でパスしました。一般的には合格するとその場で仮免許証が発行され、以降本免許証を持っている同乗者とたっぷり路上運転の練習をし、自信がついたら実地試験に挑むことになります。仮免許証は13ドルかかりますが私の場合は国際免許証を持っていますから一人でも運転練習できますので無駄な出費は省きました。私は実地試験日を予約してからBruceに付き合ってもらい彼の勤務時間後の7時ごろから1時間ぐらい、3日間色々な道路を走りアメリカの道路に慣れるまで練習しましたが、日本でもあまり運転しませんでしたしアメリカに来てからも9ヶ月間運転しませんでしたので上手ではありません。自信がありませんでしたが当日一人でDMVに行きました。. 実地試験ではDMVで車を貸してくれませんので自分で持ち込まなければなりません。まず試験官が車の保険のチェック、機能(ブレーキ、ライト、方向指示器等)のチェックをしたあと、路上テストは15分間くらい運転を試され、何とかパスし、26ドル25セント支払って本免許証を取得しました。免許証への記載事項に身長と体重がありますが太った女性にとっては人に見せるのをためらうかもしれません。
私の車を使って実地試験を受けた友達が4人おります。まず彩香ちゃん、北海道の大学を3年で休学して一年間だけChemeketa Community Collegeに留学していた才女で日本では免許を取っておりません。無料のマニュアルを一週間ぐらいで読み、筆記試験は一発で合格し、13ドルで仮免取得、一週間ぐらい運転練習、練習場所は学校の敷地内、静かな住宅地、車がほとんど通っていない郊外の道路等こと欠きません。実地試験も一発で合格、26ドル25セント払って本免許取得。もし日本で取ろうと思ったら20数万円以上を覚悟しなければなりませんのに、たったの40ドルでアメリカの免許を取得できました。帰国前にAAAで国際免許証を作ってもらい日本で簡単なテストを受ければ日本の免許証に切り替わるそうです。短期間で免許を取って帰国後、実際に日本の道路を走れるかどうか心配する向きがあるかもしれませんが、それは心配ご無用、彼女は夏休みの間、友達同士で広大なアメリカを車で周遊してきており、運転技術に問題はありません。
二人目は真奈美ちゃん、筆記試験は二回目で受かっており(二回、三回と受けるのは普通で、一回で受かるのは少数)、日本の免許を持っていますが、日本ではほとんど運転しなかったと言う割には運転が上手で、私は何回か運転練習に同乗してみて、実地試験は一回で受かると思っていたんですが落ちました。更に練習しまして二回目は大丈夫と私も確信していましたが落ちました。Downtownの一方通行が日本に無いもので勘違いし易く、間違いやすいので日本で長年運転してきた人でさえアメリカで実地試験に落ちます。あまりにも華麗な運転技術を見せ、試験官に大柄な態度を取ると反感を買って落とされることもあるようです。彼女は三回目で受かりました。
三人目は中国人のXiao(肖、シャオと発音する)です。ESL, Grammar Iのクラスで初めて知り合ったときは、すでに二ヶ月前に仮免許証は取っていましたが運転練習はほとんどしたことが無く、学校の敷地内で何回も練習させましたが、はらはら、どきどきで、日本語なら適切な言葉でどんどん注意できるのですが、通じませんし、ヤキモキ致しました。彼女は中国人ですから漢字は得意で、筆談しますと、複雑で微妙なことまで通じ合うことが出来ます。三ヶ月ぐらい練習を中断しましたが、彼女の強い意志で練習を再開し、学校の敷地内から路上へと練習の場を移し、いよいよ実地試験に挑むことになりました。練習中から彼女は私の車が気に入り愛着が出てきて、その時は私の帰国六ヶ月ぐらい前でしたが、帰国時私の車を譲り渡すことを約束させられました。試験当日も一時間ぐらい練習してから挑んだのですが、僅かの差で落ちました。彼女はがっくりきて別の場所のDMVで受けることも考えましたが、遠方であるし気を取り直して一週間後に再試験を予約し、合格することが出来ました。
四人目はアヤちゃん、日本で四年制大学を出て、子供向け英会話の先生を経験した後、Chemeketa Community Collegeに来ていまして、日本では通勤で車を運転していました。中古車を買いたいので、その前にオレゴンの免許を取ろうと考え、私に声がかかりました。あちこちの中古車センターに付き合いましたが、どうしてこんなぼろ車まで売らなければいけないのかと思われるような車まで取り扱っており、同じようなレベルの車でも中古車センターによって値段が異なります。やはりアメリカでは出来るだけたくさんの中古車センターを廻り、たくさんの車を見てみるのが賢明でしょう。私は若い日本人女性と二人で出かけると、いつも店の人には親子に見られていましたので、中古車センターでも親子と間違えられましたが当然かもしれません。彼女は一回で筆記試験に合格し、一回で実地試験に合格しました。
DMVではオレゴンの身分証明書も発行してくれます。オレゴンの運転免許証を持っていない、または免許証を取るまでの間、ほとんどの日本人留学生はDMVで身分証明書を発行して貰っていました。アメリカでは21歳以上で無いとお酒を飲めません。ビールなどお酒を買うには21歳以上であることを証明しなければならず、パスポートでも良いのですが普段持ち歩きたくないので、オレゴンの身分証明書を使っているようです。もちろん私はそんなものを見せなくても大丈夫ですが、一般的に日本人は歳よりは若くみられます。特に女性は若くみられ、20代なら、ほとんどの人が未成年にみられるでしょう。ある33歳の女性が未成年にみられた事がありました。アメリカにはお酒の自動販売機はありませんし、自動販売機そのものが屋外ではあまり見かけません。あったとしても店の前の監視の目が届く所にしか在りません。日本では子供でも自動販売機でビールを買えると話しますとアメリカ人は皆びっくりします。