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Foreword
by Barry Duell, Chair
Kawagoe-Salem Friendship Society

Masao Mizukami showed much courage and resolve in deciding to study overseas from September 1998 to August 2000 after retiring from his company job at 60. What an honor it is for me to write a few words prefacing this detailed account of his experiences since he chose to study in my hometown, Salem, Oregon, USA. This, significantly, also happens to be the sister city of Kawagoe, Saitama, Japan, where Masao lives.

As Masao explains in his manuscript, he had previously visited Salem briefly in August 1995. The occasion was the annual homestay tour from Kawagoe to Salem organized by the grassroots organization, Kawagoe-Salem Friendship Society, and led by myself and my wife, Masako. It was after experiencing Salem for a few days, staying with a Salem family and joining the tour's visits to various area sites, that Masao resolved to return to Salem for a longer stay following his retirement.

The biggest surprise I had from reading Masao's account of his two-year Salem stay was that as small as Salem is (136,924 people in 2000), he experienced a somewhat different life in Salem from what I have ever experienced. For example, the center of his life was studying English as a second language at Chemeketa Community College, a public, two year college. A second center to his Salem life was the Asian friends he surrounded himself with, particularly Japanese or Japanese Americans, and the non-Asians associated with them as spouses or friends.

Masao documents very well the many different experiences he had in Salem, some sad, some amusing, but all very interestingly described. Most memorable to me is his description of his first Halloween in Salem when he struggled with how to respond to the groups of children coming to his door since he had no idea he was supposed to prepare something for them in advance.

As the population ages in the USA, and particularly in Japan, Masao's story gives us inspiration for how we might continue to find new challenges and meaning in our lives as we get older. He wisely concludes his text with, "It is never too late to learn!" The Kawagoe Salem Friendship Society is proud to be able to introduce this excellent manuscript to interested people in Kawagoe, Salem, and elsewhere.

はじめに

終戦の年、私は小学校一年生であった。山梨県の片田舎に住んでいたので映画館など無いし世情に疎かった。十歳のとき神奈川県に引っ越して、はじめて外国人を目にし映画を通じてアメリカという国の豊かさを知った。一般家庭の大型冷蔵庫には食べ物がぎっしり詰まり、ゆったりした車庫付の家に住み車を乗り回していた。日本は戦後の食糧難から脱しきれず、その日の食べ物に窮窮としていた中学校で初めて手にした英語の教科書 "JACK AND BETTY"は忘れられない。この頃からアメリカへの憧れが芽生えていたのかもしれない。高校を卒業し就職して以来定年まで会社で英語が使われることは無かった。しかし青春時代よりアメリカからくる連想は、開拓者精神、自由の国、機会均等、能力主義、New World,そしてAmerican Dreamであった。

Salem Homestay Tour

約5年前の1995年8月川越セーレム親善協会主催によるHomestay Tourが行われ、私が57歳のときであったが10日間の行事に参加した。10日間も会社を離れるのは初めてであり、また私にとっては初めての海外旅行であった。シアトル、カナダのビクトリア、バンクーバー,を見て廻りポートランド経由でセーレムに入った。オレゴンの首都でありながら静かでゆったりとし緑多き町であった。Downtownがほとんど一方通行になっているのにまず驚きました。日本なら道路が狭くてすれ違えないので一方通行になりますがセーレムはそうではありません。3車線でも一方通行です。

South-SalemのBrown夫妻の家に5泊しました。静かな住宅地で道が広くほとんど車は走っていません。どの家庭も平屋建て、前面の庭は芝生で塀がありませんし,木も多く、花もきれいに手入れされています。裏庭ではリスが数匹走り回っており屋根でも遊んでおりました。各家庭の庭で気がついたことですが、バスケットボールの籠付ポールが一本ずつ建つておりますのは、アメリカでのバスケットボールの人気が窺われます。土曜日と日曜日の朝、2日続けて近所を散歩してみましたがBrown宅から4,5分のところに公園があり、中にテニスとバスケットボールのコートがありました。休日にもかかわらず誰も使っておりません。私はテニスが好きで毎週やっておりましたが、もし日本で公共のテニスコートを使おうと思ったら1ヶ月くらい前から予約しないと確保できませんし、しかも有料です。私はすっかりセーレムの住環境が気に入ってしまいました。

留学への決意

Homestay Tourから帰国後の参加者の反省会で、私は定年になったら少なくとも半年以上はセーレムで生活したいと表明しました。18歳から働き始め定年までだと40年以上を働き詰で来たことになりますが、この間大きな病気もせず、ただひたすら働いてきました。大きな出費は伴うけれど、これ位の我儘が許されてもよいのではないか。定年後も寿命によれば20年も生きなければならないので、一つの区切りとして、気分転換として、外国で暮らし、自分を見つめ直し、外から日本を眺め、たくさんのものを現地で吸収して、それを活力に残りの20年を慎ましく生きていきたい。

半年ぐらいと考えていたのが、その後どうせ行くならセーレムの春夏秋冬を経験して見たいと思うようになり滞在の方法を調べて見ましたが私の場合、学生ビザを利用するしかないことがわかりました。英語を勉強するのに適したESL (English as a Second Language)コースがセーレムの北東部に位置するChemeketa Community Collegeにあります。しかしESLを受講するには2年制大学であるChemeketa Community Collegeに入学しなければならない。そのためにはTOEFLという英語実力テストで450点以上を取らなければならないことがわかりました。I―20と云う入学許可証が無ければ学生ビザを取得できません。私はちょっと慌てました。果たしてこれから勉強してテストをクリア出来るのだろうか。英語の実力が無くてもI−20を発行してくれる語学校はオレゴンだけでも5,6ヶ所ありますが、私の場合はセーレムに惚れたのですから他の地域では意味がありません。それから毎週会社の休日に猛勉強して何とかTOEFLはクリア出来ました。しかし英会話はぜんぜん駄目でしたので、せっかくアメリカに行くのなら普通にしゃべれるようになりたい、それには1年では無理だろうと考え2年に決めました。

Chemeketa Community College(シェメケタ コミュニティ カッレジ)

この学校はオレゴン州立の2年制大学で州内の住民は、学費が安いため(州外のアメリカ人は約倍、留学生は約3倍の学費がかかる)ここを卒業し4年制大学の3年に編入する学生が多い。国外からは約200名の留学生を受け入れている。Fall Term(秋学期)から始まり冬、春、夏と4term制を採っているが夏学期は休むことが出来る。留学生は一つの学期で12単位(週に1時間のレッスンが1単位に相当)以上勉強し平均以上の成績を取らなければならない。学費は1単位150ドルですから一つの学期で1800ドル以上、日本円で20万円以上かかります。

私が入学した1998年9月には無かったのですが翌年4月にChemeketa Language Institute(シェメケタ語学院)が設立されESLコースを学べるようになりました。実際のクラスはCollegeと共用ですがTOEFLを必要としませんので英語の実力が無くても留学に必要なI−20を発行してくれます。週18時間以上のレッスンが義務づけられており学費は1term1500ドルです。

私が主として学んだESLコースはレベルが1から5まであり、レベル4から単位をもらえます。各レベルともSpeaking and Listening、Reading、Writingと言うクラスがあり、レベル5はこれらに加えてGrammar I、Grammar II、Pronunciation、Businessと言うクラスがあります。ESL以外で、私がアメリカ人学生の中に入って受けたクラスはWritingを2term、Computer keyboarding、Cultural anthropology、Vocabulary skill developmentを2term、Tennisを6term、Racket ball、Sports conditioningです。

先生方はほとんどが女性で私が受けた全クラスの内、スポーツ関係を除いて男性教師は一クラスだけでした。教えるのに非常に熱心で個人個人の能力をよく把握しております。また友好的で気さくで友達のような感じです。先生方への呼び方もfirst nameだけで、例えばLois Rosenなら“Lois”、Jannie Crosslerなら“Jannie”です。先生が生徒を呼ぶのも、もちろんfirst nameですし、生徒同士もfirst nameです。私はいつもMasaoと呼ばれていまして、日本人同士でさえfirst nameで呼び合っていますので私の日本人の友達のほとんどの姓を私は知りませんし,彼らのほとんどが私の姓であるMizukamiを知らないと思います。 先生方の何人かは毎回お菓子持参でクラスに来、生徒に配ります、お菓子を食べながらみんなで和やかに勉強します。月に一回クラスで誕生会をし、その月に生まれた生徒を祝ってくれる先生もいます。学期末には生徒全員を自宅に招きPotluck partyを催す先生もおり、私は5回経験しました。

同級生についてお話しますと、ESLのそれぞれのクラスは30名位から最小では10名で構成されていますが学期末には3分の2くらいまでに減ってしまいます。アメリカ人はもちろん居りません。一番多いのはメキシコ人でクラスの半分くらいを占めています。他は、ラテンアメリカ(ブラジル、コロンビア、エクアドル、ペルー等)、ベトナム(避難民が多い)、ロシア、中近東(国費で来る学生や、大金持ちの息子もいる)、アフリカ諸国、韓国、中国、台湾といったところです。全般的に女性が多く、留学生は2割くらいで、レベル5に行くと留学生の比率はもっと上がります。オレゴンの住民は学費無料ですが、ご主人の転勤で日本からきた奥様方は有料です。セーレムには日本の企業として、三菱シリコン,醤油の山サ、京樽があり転勤族の奥様方の何人かがESLコースで英語を学んでいます。

授業時間としては1日3時間くらいでよいのですが連続した時間で授業を受けられない場合が多く、授業と授業の間をうまく過ごす工夫が必要です。宿題(workbook、問題のプリント解答、journalやessayの提出)や予習(Readingのテキストをあらかじめ読まなければならない等)、課題発表の準備などクラス外でやらなければならないことが多く良い成績を取るにはそれなりに時間を掛けなければなりません。学期末までに生徒がだんだん減っていくのも頷けます。日本の留学生さえ落伍する人はいます。